「人に嫉妬するのを止める」ことを止めた
どうも、基本的に毎日いつも眠い、無職さちょです。
みなさんは、誰かを「羨ましい」と思いますか?
私は「我が道を行く!」というようなゴーイングマイウェイ風な人間を匂わせておいて、実はかなり人と比較して嫉妬してしまうし、周りに影響されやすいです(笑)。
嫌ですよね、人と比較して落ち込んだりすることは。「あの人はあんなにすごいのに私は・・・・。」と卑屈になってしまいます。
卑屈になると人の幸せを祝えなかったり、何をするにもうまくいかなかったりします。
だから、そのような嫉妬心に対してどう対処するべきか、考えてみました。
でも答えは、「嫉妬心なんて無くすことはできない。」でした。
正直、「きらきらリア充」な友達に憧れる
前のブログで書いた、
「幸せというのはそれぞれ違っていて、自分だけのものである」
みたいな事を言ったんですけど、それは重々承知なんですけど、人と比べてしまうんですよね。
私は、いつもたくさんの友達に囲まれて、楽しそうな毎日を送っている友達と比較して落ち込んだりします。
社会人になってからは前職がシフト制ということもあり、友達と会う頻度は前よりも少なくなってしまったんですよね。
それに1人が好きなのでま、いいか。と思っていました。
でも、SNSを見ると、ザ・リア充な友達らの近況とか入ってくるわけですよ。
それを見て、
「あの子はいつもおしゃれで誰かと華やかな週末を過ごしているのに、私は地味に家でブログ書いて過ごしているだけ。」
みたいに無意識に比べて心が痛くなるんです(笑)。
1人が好きといいつつ、なんだかんだ羨ましいんです。矛盾してますよね。
でもよく考えてみれば、大学生の時は私も遊びまくってて毎日楽しい!充実!みたいな時期あったんです。
今、私が羨ましいと思うようなリア充な生活をそれなりにしていた頃がありました(笑)。
では、果たしてその時、私は満たされていたか。
思い出してみると、そうではなかったです。
結局、どんなときでも人と比べる
その時だって他の何かを羨む気持ちはあったんですよね。
その時に私が欲しかったのは、能力や何か夢中になれる事でした。
何にもスキルが無くて、特に秀でた成績でも無い、何も誇るものがない自分。
ただ毎日楽しく遊んでるだけで、こんなんでいいのかと疑問を深めていました。
だから、優秀な友達や、熱心に部活などに取り組んでる友達を見て、心の中ではすごく羨ましがっていました。
では、今はどうか。
当時欲しかった能力面はかなり向上したと思います。
2年だけど社会人経験を手に入れて、勉強した結果英語もそれなりにできるようになったし、今はブログという打ち込めるものがある。
大学生当時の自分からしたら理想の「スキル」や「打ち込めること」を手に入れたわけです。
でも反対に今は、その楽しげなリア充生活をしている友達を羨ましいと思っている。
つまり、羨ましいと思う対象は常に変わるにしろ、きっと私はこの先もずーっと人と比べてしまうんだなと気付きました。
嫉妬心は消せないけど、自分を愛することはできる
いつでも、どんなときでもたぶん私は人と比較してしまうし、嫉妬もします。
きっと未来永劫そうです。
だから、「そういうものなんだ。」って割り切ったら、少し楽になったんですよね。
無意識に比べるのはもうしょうがない。
だったらせめて今自分に出来る限りのことをしよう、自分をいい人間にしていこう、と思ったんです。
人と比較したり嫉妬する、というような醜い感情は避けられないだろうけど、人間だもの。しょうがないじゃないか(みつを)。
でも自分の成長は裏切らないと思うんです。
もしかしたら、未来の成長した自分にだってまた新たな比較の対象は出てくるかもしれない。
でも、何かしら成長したという事実は壊れるものでも無くなるものでもないのです。
「嫉妬心という醜い感情は捨てることはできない。だけど、自分を高めていこうと努力し、成長することができれば自分を愛することはできる。だから、私は私を愛せるような自分になるために努力をする。」
筋が通ってないかもしれないけど、これが、今の私の結論です。
だから、今はブログを頑張ったり、就活を成功させたりと自分に出来ることを精一杯頑張っていきたいと思います!
なんだか熱く語らせていただきました(笑)。
ではでは。